ある時、田名宗祐寺の大けやきの梢に、どこから飛ばされてきたものか、真っ白な幣束がかかっていました。これを見つけた村人たちは何か神様の思し召しかと、恐れおののいていましたが、その中のひとりが
「昨夜神様が夢枕に現れて、田名はいい所だから鎮座したい。ついては信州に石灯籠が置いてある。それをここに運んで来てもらいたい。とお告げがあった。あの幣束がその意味だ」と言いました。何はともあれ信州に行こうという事になり、二十四人の総代を選んで出かけました。
総代たちが信州を尋ねると、ちょうどお告げにあったような石灯籠がありました。みんなでそれを碓氷峠まで運んできたとき、信州の人たちが追いかけてきて「それはおらが国の大事なもの。もって行っては困る」と抗議してきました。
田名の総代たちはわけを話しましたが聞いてもらえません。ところが、信州側が石灯籠を持ち上げようとすると灯篭はびくとも動きません。田名の総代が持ち上げると、軽々と上がります。これには信州側も折れて、田名に譲ることにしました。こうして石灯籠は八幡宮に安置されて、この時から的祭(まとまち)の神事が行われるようになったという事です。
座間美都治
相模原民話伝説集より